理想と現実のギャップ

おおたきく子クリニック(大阪市北区梅田)
院長 太田 喜久子

 早いもので、2014年12月にクリニックを開院して一年が経ちました。私は、昭和63年に川崎医科大学を卒業し、卒業後は母校の内分泌外科に入局、乳腺・甲状腺疾患に携わってきました。その後大阪大学第二外科に入局、消化器外科医として修練を積んで参りました。身長150cmの私には手術の時はいつもお立ち台が必要でした。手の小さい私(手袋5.5)にとって、腹腔鏡手術のデバイスは操作しにくく、鉗子も自前の鉗子を準備し手術をしていました。手術が大好きでしたが手術と同時に興味を持ったのが内視鏡です。勤務医時代は、手術だけではなく内視鏡指導医として、ESDも行っていました。
 外科医として癌の診断・治療に携わってきた私は、癌を見落としなく診断し、患者さんが元気で寿命を生きられる手助けをすることが自分の使命だと思っていました。都会の病院でも、癌が進行した状態で病院を訪れる方がいらっしゃいます。症状があっても、検診で異常を指摘されても、仕事が忙しかった、悪い病気と思わなかった等、「自分で気づいているのに、もっと気軽に病院に足を運べないのはなぜ?」とずっと考えていました。そこには恥ずかしさだったり、怖さだったり、待ち時間が長く何度も検査に通わなくてはいけないといった個々の事情があり「そんないろいろな問題をすべて、クリアーしますよ。まずクリニックに来てみてくださいという場所が作れたらなぁ」という思いがありました。
 卒後26年目にして、ビジョンはありましたが、しっかりした準備もせず、開業という一大決心をしてしまったのは “縁とはずみ”としか言いようがありません。内視鏡や洗浄機、ソファに至るまで、自分の夢と理想をできるだけ(もちろん妥協もたくさんしましたが)詰め込んでの開業でした。しかし、ハード面よりソフト面が大変で「もう嫌」の連続です。準備期間が短かったこともあり雇用・労務を含め開業後につけが回ってきました。「スタッフは家族同様で定年まで働いてくれる人、大事にしなきゃ。」そう思っていました。しかし、実際は大違い。人を雇うこと、そして、雇うことより辞めさせることの大変さ、派遣も派遣会社の紹介料の高さだけではなく、派遣慣れしている職員の資質とスキルに頭を悩ませる日々です。
 経営面でも「医は算術ではない。真摯に患者さんと向き合い、誤診ないように、見落としの無いように、診療に全力を尽くせばいい」と思っていましたが考えが甘かったようです。しっかりそろばんもはじかなければなりません。
 「自分の城を持てて楽しいでしょう」と言われても、「楽しくないです。大変なだけです」と答えてしまう自分が情けなくなります。心が折れそうになりながら、日々診療していますが、「焦らなくても大丈夫。まだ1年でしょう」という先輩の言葉を信じて、元気で笑顔で、患者さんに信頼していただける、社会貢献できるクリニックを目指して精進していきたいと思っています。