最後の転職

淀川こころのクリニック(淀川区)
木村宏明

 私は2015年5月に阪急十三駅前で心療内科・精神科を開業いたしました。開業前は茨木市の精神科病院に勤務していましたが、かねてより開業地を探していたところ、利用客の多い駅前の医療ビルで、医師になる以前に働いていた地域で土地勘もあり、この地での開業を即決しました。

2回転職して医師に

 実は、私は2回の転職を経て医師となりました。最初は段ボール会社で生産管理の仕事に従事し、その後は家業の印刷業を営んでいました。父が社長で、私が専務取締役、弟が常務取締役と肩書きだけは立派ですが、下請けの町工場で経営は苦しく、昼間は営業、夜は製造に携わり、従業員へ支払う残業代を節約するため、深夜まで家族4人だけで仕事をして、ファミリーレストランで夕食を済ます毎日でした。若さに任せて身を粉にして働き続けましたが、得意先からの厳しい品質要求と値下げ要求が常態化しており、多額の負債も返済の目途が立たず、早晩倒産することは誰の目にも明らかでした。私が半ば強引に会社を去ることで廃業への手続きが始まりましたが、その後も父は「なんとかなる」と廃業に納得しない様子で、沈みかけの船に父と弟を残した罪悪感を抱きながら医学部の編入学試験を受けました。

開業への迷い

 前職の事業経営での苦労や失敗もあり、もう二度とあんな辛い思いはしたくなかったので、医師になった当初は開業だけはしないでおこうと決めていました。社会人経験を生かして、心の病に悩む人たちの役に立ちたいと思い、大阪大学精神科へ入局。医局人事で様々な職場を経験しながら修練を積み、指定医や専門医の資格も取得し、一人前の精神科医として働き始めましたが、家業を継げなかった罪悪感が消えることはありませんでした。そんな中「先生は開業しないんですか?」と問われる度に、開業しない理由を話す自分に強い違和感を覚え、一度きりの人生だしチャレンジしてみようと開業を決意しました。そしてクリニック名には、家業の社名の一部である「淀川」を使うことにしました。

開業後の生活

 今まで就職・転職をするたびに、新しい仕事を一から覚え直す作業の連続でしたが、医師の開業も、診療以外の新たな仕事が一気に増える点で、転職と同じくらい生活が激変します。よく開業医は孤独で寂しいと言われますが、私は開業してから一度も寂しさを感じたことはなく、たくさんの患者さんと優秀なスタッフに囲まれ、毎日が非常に充実しています。忙しさのあまり終電で帰宅して深夜に夕食をとることも決して珍しくはありませんが、以前のような悲壮感は全くありません。今度こそ、医業を通じて地域社会に貢献していきたいと思います。